実頼が柚木虫のところに行くと、手当てを終えた柚木虫が厳しい表情で時行を見つめていた。
「助かりそうか?」
そう問う実頼に、柚木虫は一旦厳しい表情を和らげて問いた。
「ところで殿はお休みになられましたか?」
実頼が頷くと、柚木虫は再び厳しい表情になり、時行の方へと顔を向けた。そして一瞬言い淀むと、はっきりとした声で告げた。
「現状では判じかねます。」
そうかと短く返事をすると、実頼は博雅から得た情報を柚木虫に伝えた。
「蒼実?」
そう呟いて、柚木虫が首を傾げる。何か心当たりがあるのか?と問う実頼。すると柚木虫は薬箱から小さな香包みのような紙の包みを取り出した。それを受け取り、実頼は包みを見た。包みの面の中央にはくせ字で薬の名が明記されていた。
その薬は以前薬師から特別に分けていただいたものだと、柚木虫が言っていた記憶が実頼にはあった。
「その薬師も詳しい事は知らないと申しておりましたが、薬の調合者は蒼実という変わった名前の持ち主だと話しておりました。薬草の採取もご自身でするとも。若しかしてこの子が?」
それを聞いた実頼も柚木虫と大体同じようなことを口にした。都にいる薬師で、表立っては有名ではないが庶子の間ではそこそこ名の知れた者幾名かいる。そのうちの一人の元にたまに薬を売りに来る者が蒼実という名だと。話してゆくうちに実頼が口にした薬師と柚木虫が口にした薬師が同じだということが分かり、次に人物像の特定になったが、二人が持っている情報が同じだったので話はそこで止まってしまった。
その薬師曰く、売りに来る際は常に色の濃い被衣を用いているので、素性は知れない。しかしその腕は確かなので、特に追求する事はしていない。とのことだった。ただ、形状からして被衣の下に烏帽子を被っていると思われるが、大人にしては少しばかり背が小さく、やり取りする時の手も細い。声も一切聞いたことがないので、若しかしたら人であっても男性ではないかもしれない。下手をしたら人ではないのかもしれないとも・・・・・・。
興味があっても追求しないのは、理由はともあれ恩恵を受けている事には違いがないのだから、下手な真似をしてこの幸運を逃がしたくないのだと薬師は言ってもいた。
「その話を知っているという事は、現在も相当その薬師に世話になっているとみた。」
「男児を持つ親ですから。それに我が子は食が細いので、まだ薬に頼らざるを得ないのです。しかし実頼様のご子息は息災でござりましょう?」
実頼は柚木虫を通してこの薬師の存在を知った。男児は幼少のうちは女児よりも病気になりやすく、身体が弱いことが多い。柚木虫の息子も実頼の息子もその例に漏れなかった。
「あぁ、御陰様で実忠なら元気だぞ。して、薬草の中には月が出ている時のみに採るものもあると聞く。」
破顔して言った後、実頼は仕切り直して柚木虫と顔を見合わせた。そういった類の薬草を採取している時に何者かに襲われ逃げてきた?と二人の表情は語っていた。いずれにせよ真相は現段階では闇の中だが、情報がない以上今一番納得ゆく結果というのはそれしかなかった。
二人が黙ると、時行の浅い呼吸が暗がりに呼応するように響いた。柚木虫が時行の方に向き直り、額にそっと手を置く。
「実頼様。ここは私にお任せ下さいませ。」
手を時行の額に置いたまま、柚木虫は実頼と目を合わせる。実頼は小さく顎を引くと退室し、他の者の睡眠を邪魔せぬよう別室にて賀茂保憲宛に手紙をしたためた。
堀川で時行が放った紙は、本来だったらこの仕事に同行する筈だった者の所へと届いていた。横になっていたその者は部屋に入り込んでいた月明かりを頼りに紙を開き、一言「了」と書かれた文字と共に幾点かの青血の痕を認め、思わず立ち上がった。が、完全に立ち上がる前に膝の力が抜け、大きな音を立てて床に伏した。その音で彼の隣で眠っていた者が目を覚ます。ゆっくりと半身を起こし、周囲の様子を確認する。
「まだ夜明けには時間があろう?紅蓮、そなたも疲れておろう。咎めぬ故、今暫く休め。」
穏やかではあるが、有無を言わさぬような雰囲気を漂わせ、その者は女物の単に引きずり込むように紅蓮の腕を取る。紅蓮は畳の隙間に紙を入れると、仕方なくといった様子でその者に従った。
紅蓮がその者を送り出し、自分の為だけに宛がわれた離れの庵に戻ったのは、夜が明けてからだった。身体を清め、小袖を羽織っただけの格好で時行からの書に再度目を通していた。庵の中では今日着ていく水干服に香が焚きしめられていた。